生きる理由がないと思ったら考えたいこと

例えば、大切な人を亡くしたり、自分が必要とされていないと感じた時、あるいは日頃から「自分には生きる理由がない」「自分は生きていても意味がない」と思うことがあるかもしれません。

人が「生きる意味を見出す時」というのは、多くの場合は「誰かが喜んでくれた時」「感謝された時」「自分が必要とされている時」かと思いますが

生きる意味がないと思うのはその逆で、誰かに感謝されることもなく、誰かを喜ばせることもなく、誰かに必要とされることもなくなってしまった時

そして、自分自身で「自分は誰にも必要とされていない」と認識した時ではないでしょうか。

【「生きる理由」が欲しい理由】

生きる理由、自分の使命、人生の目的など、そうしたことを考えたり探したりする理由は

「自分は必要な存在だと思いたいから」であることが多く、本当に自分自身の目的、使命の為に生きられる人というのは少数であると思います。

過去に私自身も「必要とされたい」という思いを大きく持ち生きてきましたが、それでは「必要とされない」し「幸せに生きられない」のだと理解した時にはとても大きな衝撃を受けたことを覚えています。

「必要とされたい」という思いは「必要とされていない自分」に焦点が当たるので、更に「必要とされない出来事、考え」を引き寄せてしまい、不足に焦点を当てることで「幸せを感じることもない」ということですが

「必要とされたい」「生きている理由が欲しい」と思い人生を歩むことは「依存」から抜け出せない事にも繋がるのではないかと思います。(幸せになれない理由

必要とされたい人が、誰かの助けを必要としている人を助けることで自分が必要とされ、誰かを助けているようで自分自身を助けている、という図は良く見るかもしれませんが

そうして「誰かに必要とされている」ことが「自分の生きる意味」だと認識している人が多く、そうした喜びを感じることが「生きる意味だ」とする考えもあるようです。

助ける相手が「本当に手助けが必要な人」と「自分で自分を不幸にして誰かに依存したい人」とではまた違ってきますが

自分の「生きる意味」が「不幸な人を助けること」で「自分を必要としてもらうこと」に繋がっているのであれば、自分の行動は相手の為を思ったことなのか、自分の為の行動なのか、という事を意識してみるのもいいのではないでしょうか。

【生きる理由はなくてもいい】

生きる理由ありませんし、なくてもいいと思います。
というのは私の意見なので、「生きる理由はある」と思う人を否定するつもりもありません。

生きる意味がないと思えば創ればいいし、誰かの為に生きてもいい、ただ、それは「自分が選んだ道だという意識」を持っておく事が大切な事かと思います。

自分の生きる意味がないと考え、必要としてくれる誰かに依存し、依存していた相手が離れていけば「裏切られた」「見捨てられた」と「相手のせいにして生きる」事をしていれば、いつまでも「幸せに生きる」という事に繋がってはいかないですし

まず「人生で何が起きても自分を幸せにするのも不幸にするのも自分自身」だという認識は、人生を大きく変える「価値観の転換」だと思います。

生きる理由がないと思い、その考えに答えが出ないと思うなら、一旦生きる理由を探すのを止めて「今あるものに感謝する」ことをしてみるといいかもしれません。

幸せに生きたいと思っても、「幸せに生きる為の行動を取る」ことをしなければ幸せに生きることはできませんが、「感謝する」ことを意識することはとても簡単に「幸せに生きる習慣を持つ」ことにつながります。(幸せな人になる習慣

生きる理由がないと思っても、幸せに生きることが出来れば生きる理由を探す必要もなくなるのかもしれません。

そして自分自身の「本当の生きる理由」「人生の目的」「使命」というのは、幸せな人生のその先にあるものなのではないでしょうか。



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