自分とは何か

自分とは何か?と問われた時、あなたは何と答えるでしょうか?

自分とは何か、という事を考える事は、普段の生活ではあまりないかもしれません。
自分は自分であり、今ここにいるのが自分で、自分以外の人は自分ではない。

それが当たり前であり、一般常識だと思うのではないでしょうか。

ですが時に、自分が自分でないと感じる事があったり
自分とは一体何を差すのか、自分の何が無くなれば自分ではないという事になるのか
という事を考える事もあるかと思います。

自分とは何なのか、という事を考える時には、自分を知る事と同じ様に
周りの事を知る必要も、在るのかもしれません。(自分の価値を知る

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【自分を構成するもの】

自分とは何か、という事を問われた時に、まず思い浮かぶ事は
「母親」である事や、「学生」であること、「生徒会長」や「社長」といった事もあるかもしれません。

それらは確かに自分を構成する情報であり、自分だと言えるかもしれませんが
「母親」であることや「学生」である事などは、自分の持っている役割にしか過ぎず
自分を作っている一部であるものの、自分の全てでは在りませんよね。

私たちは自分の役割というものを多く持っていますし
それらが合わさって自分だという認識をしているかと思います。

そして自分が認識している「自分」の一部が失われた時
例えば恋人と別れた時や、会社を退職した時、子供が独り立ちをした時などに
今まで持っていた「自分」が失われる感覚に陥るのではないでしょうか。

自分を構成しているものが自分であるならば、それらを全て失った時に自分は居なくなるのでしょうか。

人の存在は亡くなれば無くなるものだ、という認識を多くの人はしているかと思いますし
現実に亡くなった人が蘇るという事は今のところ見た事はありません。

ですが全てはエネルギーだという量子力学の観点に立つと
私たちは繰り返し生きているという事にもなるのかもしれませんね。

【自分を確立させる】

自分とは何か、という事を考え、自分には何もないと思うからこそ
自分を確立させる為にどこかのグループに所属したり、何かを達成する為に頑張ったりするのかもしれません。

自分という存在を多くの人に知ってもらう事や、人に認めて貰う事
自分を必要として貰う事によって、自分の生きる理由を見つける事が出来たり
これをして生きて行きたいというような目標が見つかるのではないでしょうか。(人生の目的の見つけ方

自分の存在を確立させる、自分とは「こういう人間だ」という事を確立させる為に
その為の行動をとっている事もあるかと思います。

自分とは何かと考えた時に、見つかる答えというのは哲学的なものばかりで
結局「自分とは何なのか」という事に対する答えは見つからないかもしれませんし

我思う、故に我ありというデカルトの言葉のように
自分がこうして考えている事だけは、紛れも無く事実であるという事にたどり着くかもしれません。

自分を構成しているものが失われる事によって、自分がわからなくなってしまうのであれば
執着をなくす事について、考えてみるのも良いのではないでしょうか。(執着しない生き方



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